おじさんのネタ話

おもろい話をかいてみようかなっと

四州四国はお城の宝庫
お大師様と同行二人
へんなおじさん遍路中
つるつるっと、うどんを食し
鳴門のうずで大きく揉まれ、
三大河川の吉野を渡り
同じあほならおどりゃなそんそん
忘れちゃいけないお馬さん
はりまや橋の待ち合わせ
はちきんお嬢と乱舞して、
たどり着いたよ坊ちゃん湯
恋の病を湯に流し
松山城は15万石。

初出勤どうなったのか


さて、本日から新しい職場となりました。


朝は6時起床、普段は7時過ぎに起床していたので


1時間先取り、自宅から勤務先までの通勤時間は45分強


準備万端、今日の為に定期も購入済み。当たり前でっしゃろ


職場に到着時間は7時40分頃、始業時間より20分前


別に普通の勤務だよねと言われて当たり前か?


今日の業務を教えて頂ける担当者はすでに出勤済み


本日の業務指導の担当者は、代務員と言われる方である。


現認の業務担当者は本日休日とのこと、代務員と言っても、業務


知識は完璧、現認の担当者は2か月余りで急遽の退職とのこと。


各々人によって、いろいろと事情を抱えているみたいですな。


さて、業務開始、活き込んでの業務姿勢ではあったものの


まずはゆるやかに、マニュアルを熟読し簡単に業務手順を把握し


てからのルーティンワーク開始。


思うほど複雑でもハードでもなくまずまず一安心。


たんたんとルーチンワークを進めて、諸々関係者の方との挨拶も


すませ、2時間ほどで一休憩。


管理すべき物件は2棟あり、複雑で迷路みたいなところもあるも


のの、何度か往復を重ねるうちに、なんとなーくルーティン


ロードのそれぞれの業務や手順、又時間配分等の理解も進んだ。


するべきことを頭の中でパズルを組み立てるように並べながら


目の前の業務に取り組んでいった。


頭の中で、覚えやすいようにポイントを押さえつつの業務進行。


程よいところで、食事の時間とあいなりました。


かみさん手作りの弁当を食しながら、担当者と二人でいろいろな


世間話に花が咲き、それぞれ年齢に見合った味のある経験をして


いるもんだなあと、感心したり、笑いあったり、いわゆる、大人


の会話を楽しんだ。


さて、最後の締めくくり、2棟の物件の残された確認業務と


再点検としての巡回業務を実行し、本日終了。


明日からは現認の担当者との引き継ぎ業務。


各々の考え方から業務の取り組みについても多少の手順や業務配


分は変わるもの。明日はどんな業務手順や時間配分になるのかと


考えると、サイコロころがしのような当事者でありつつも傍観


者であるような、単純になんとでもなるんだろうと言ったもの。


それよりも、担当者とどんな会話ができるのか?そっちのほうが


興味津々、まあどっちころんでも、明日は明日の風が吹く、って


じですかな。そう思うと、やっぱり明日も楽しみですな。


アグレッシブにそして、ポジティブにしっかり業務遂行!


ということで本日の初出勤、初業務ご苦労様でした。


布袋さんのおかげを頂きましたかな。


じゃあ、また。

視界良好


明後日は一区切りとなります。


遠くを見渡せて、実はとても近くを見ている


それだからこそ視界良好なんだろう


しばらくの間ゆっくりしたいと考えても


そうは問屋は下してくれない


カモメのように 自由に羽を伸ばしたい


子供の時から何度同じようなことを考えたものだろう


縛られない生き方をと考えながら


いつも縛られていることに安心感を得てしまう


二重人格とまでは言えないだろうけど


二つの思いが交錯しながら優先順位を争っている


そういうことでまた新しい日々を早々に迎える


本日天気晴朗なれども波高し、ってかんじですかな。


ちなみに日露戦争時に下記のような状況での打電した一文。


ロシア・バルチック艦隊との日本海海戦に際し大本営に打電した


一文、ちなみに全文は「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直


ちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」


東郷平八郎は艦隊を出撃させ、同時に大本営に暗号文として打電


したものです。主席参謀の秋山真之中佐は電文の状況を鑑み


これは勝てると士気を鼓舞したのではないかと言われている。


いわゆる視界良好とは、勝てると士気を鼓舞するものであろう


そういうことでこれからが楽しみですな。


勝手な思い込みではあるものの、要は考え方次第ですな。


じゃあ本日のネタ話はこれまでですな。


じゃあ、また。

手続と研修


“モナリザの微笑” のように


雨がしとしと水曜日。


僕は一人で入社の説明聞いていた


デスクに置かれた契約書


なぜか担当者


素敵な笑顔を浮かべてる


そんな感じで2時間、社是から始まり


エコアクションまで


まるで、水を得た魚のように


すいすいと泳ぎ切りましたとさ。


後は、健康診断を残すのみ


しっかりとミッションに取り組んで参ろうぞ


応援団は恵比寿さんと大黒天さん


よろしく頼んます


じゃあ、また。

神棚の不思議


神棚に潜む七不思議


我が家にお越しいただいた大切な神様(神棚)は


かれこれ10年目になります。 


そして、今から書くことは


我が家の神棚の不思議なお話です。


左右にある榊は毎月、月末に新しいものに変えています。


以前は月に2度、15日と月末に変えていたのですが


榊がとても元気があるので、月に1度に変更しました。


中央には伊勢神宮の御札(天照大御神)をお祀りし


左側には今までお参りした崇敬(お気に入り)の神社の御札を


右側には地元の氏神様(八坂皇大神)の御札をお祀りしています。


そうして毎朝、榊の水を変え、水・米・塩を新しく変えて


二拝二拍手一拝をして


自分の思うところの約束事(決意表明)


世界の情勢の改善(戦争の終結、緊張状態の緩和)


家族・親族の健康長寿、目標達成等のお願い事をしています。


かっこつけているわけじゃないのですが、長年のお祈りやお願い


が本当にスムーズに進むことも多く、信じられないような事も


結果としておきてきたわけです。


そのひとつとして、神棚の右側の榊が神棚を飾って少したって


よく枯葉になって落ちることがあるなと思って調べてみると


神様がお越しになっている証拠とか、ほんとですかなんて思い


ありがたいことだなと感謝しました。


又、大変ビックリするようなこともありました。


左側の榊がある日、朝の定例としての水替えをしようと


持ち上げた瞬間、ほぼすべての葉が枯れ落ちて大変ビックリしま


した。それまで一度もなかったこと、ましてや昨日まで生き生き


としていた榊が突然の事態に本当にあわててしまいました。


やはりその日にとんでもない事態が発生しました。


神様は事前に教えてくれていたと後になってわかりました。


調べてみると大きなトラブルが発生したり、良くないことの


前兆という風に書いてありました。


起きたことは仕方がないので、自分のできることをしてなんとか


今日に至ります。


本当に不思議なことがいろいろとありますが、神棚に神様が


来られているからこそ、教えて頂けること、学べることがある


と本心から思うようになりました。


いやー、世の中は不思議にあふれていますが、神棚をお迎え


したからこそ学べるものがあります。


今日の話はここまでですが、なんか不思議でしょ。


じゃあまた。

善根宿 巡礼さんのお宿


        


四国霊場八十八ヶ所巡礼の旅


弘法大師信仰の出発点は東寺、京都にある真言宗の総本山。


桓武天皇による平安京遷都の二年後、七九六年に都の南端に


官寺として創設されました。


その後、八二三年、嵯峨天皇からお大師様に下賜され、密教の


根本道場となりました。


一九九四年(平成六年)ユネスコの世界遺産に登録されました。


密教美術の宝庫としても知られています。


御影堂はお大師様が実際にお住まいになられていたお堂です。


お大師様が真言宗を開かれたお寺それが東寺。


お大師様とともに旅立つ 同行二人


お四国巡礼 四国八十八ヶ所巡礼


発心 修行 菩提 涅槃 同行二人 の遍路修行


阿波霊山寺~土佐~伊予~讃岐大窪寺迄


私が四国遍路を始めたきっかけはかれこれ30年ほど前に


転勤で徳島で仕事を任されてた時、業務がなかなかうまく進展せ


ず、毎日悩んで偏頭痛に悩まされていたころです。


日曜の朝起きて、テレビを見ると、とある俳優さんが癌を患って


四国遍路に来ていますと、実況の番組がそこに映し出されていま


した。それを観ているうちに、そうだここ徳島は四国霊場八十八


所、発心の地じゃあないか。


よーし、自分のもやもやした気持ちを復帰って、決めたことを


想いのまま実践していくように、一番札所霊山寺から九番札所法


輪寺まで、実行すると決心したことを、お大師さまに約束するよ


うに決意表明を行っていきました。


すると九番札所をお参りしたころには、あれだけ偏頭痛に悩まさ


れていたにもかかわらず、一切頭痛は感じなくなりました。


それから、業務に対しても、決心したことを実行していくように


努めていくと、業務は好転し、それ以来偏頭痛に悩まされること


なくなりました。それがお四国巡礼へのきっかけでした。


それからおおよそ30年、いまだ巡礼は半分ほど、想いとはずいぶ


かけ離れ悲しい限りとなっています。


定年となり、やっと四国に帰ってきて今はすこしづつ時間を取っ


て巡礼を続けているところです。


閑話休題(それはさておき)、私の叔父が六十四番札所と六十五番



札所の間でお遍路さんの為に 巡礼さんのお宿 をしてい



ます。タイトルに書いてあるとおりの 善根宿 です。


善根宿を始められたきっかけは、叔父の兄(母の弟)が生まれたこ


ろから目調子が悪母親(私の祖母)がお遍路さんに巡礼の旅に


一緒に連て行ってもらえないと頼んだそうです。


いくばかりかのお金とお米をお渡しして巡礼に連れて行ってもら


たそうです。まだその兄という子は10歳になったばかりのまだ


まだ本当の子供だったそうです。


その兄(叔父)という子供も目が悪いにもかかわらず、良く巡礼に


ついていったもんだと心から感心してしまいます。


そうして1年ほどの間、なんの連絡もないまま、ある日突然ぼろ


ぼろの姿格好で叔父の兄はうちに帰ってきたそうです。


母も家族一同みんな、びっくりしたというよりも嬉しくて嬉しく


て、ほとんど見えなかった眼はなんと生活できる位回復して


帰ってきたそうです。


お大師様のおかげ、巡礼さんのおかげ、そして何より小さい子の


本人の努力のおかげが奇跡をおこしたと感じたそうです。


そんな経緯もあって、私の亡き母もそして、叔父もみんな、


お大師様をはじめ、四国巡礼のお遍路さんにはずっと感心


寄せていました。


巡礼の大変さを知る叔父は、今現在、巡礼さんのお宿を開いてい


ます。お遍路さんへ無料で開放しています。


 私の街でも、杖を持った巡礼さんを見るたびにご苦労様です、


声をかけたくなります。


私達もできることは協力しようといろいろと話し合っています。


今では、間接的なお接待もありかなと思っているところです。


お茶のセットとかカップめんのセットとか甘いもののセットとか


巡礼さんが少しでも喜んでいただけるものを携えて、


かみさんと叔父の家に行くことが楽しみの一つになっています。


残念ながら、叔父の家の番犬メリーは人なれせず、いつ行っても


死に物狂いで吠えてきます。


こっちも死ぬ気で近寄って頭をなでるとウーッと震えながら


なんとか我慢して頭をなでさせてもらってる状況です。


いつかきっと、尻尾を振らせてやるぞと思いつつも、残念な結果


まあ、少しづつ慣れてくれるのを待つようにしています。


今日は、ぐちではなく我が家の少しの楽しみを書いてみました。


じぁあ、また。


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