おじさんのネタ話

おもろい話をかいてみようかなっと

四州四国はお城の宝庫
お大師様と同行二人
へんなおじさん遍路中
つるつるっと、うどんを食し
鳴門のうずで大きく揉まれ、
三大河川の吉野を渡り
同じあほならおどりゃなそんそん
忘れちゃいけないお馬さん
はりまや橋の待ち合わせ
はちきんお嬢と乱舞して、
たどり着いたよ坊ちゃん湯
恋の病を湯に流し
松山城は15万石。

俺はおしんか・・・なんてね


 昨日から世間でいうところのゴールデンウィークですな


シルバーシニアである私には一昨年からは日常生活


アルバイトもなく、どうしようかなっと次なる職場をぼーっと浮


かべて思案中、かみさんは仕事へご出金(出勤)されました。


雨の日は私が送迎担当として社長出勤の待遇です。


さてと、のんびりと溜めこんでいるテレビ番組を精査しながら  


聴しているところ、まずはNHKの 新プロジェクト 


黒四ダをビデオで見ました。


あの昭和30年代、日本が戦後復興に向け全力であらゆるものに取


り組んでいた時代、そして私が生まれた年代。


戦後の強い日本の出発点ともいえる頃、私は出発したんですな


私が35歳の頃、家族4人で黒四ダムを見に行った記憶がよみがえ


ります。マイカーで夜通し走らせて、黒部のふもとに到着し


バスに乗りケーブルカーにのりトロッコに乗り?


まあダムにたどり着くまでの道中が非常に感動的だったのを思い


出します。それから、トンネルを抜けるとそこには壮大な雪の壁


(5メートル位はあったのかな)に一層感動した記憶が浮かびます。


そうそう、家族四人で旅行に行ったのはそれこそゴールデンウィ


ークでした。娘二人とかみさんはそれほど感動しているようには


見えず、私一人がはしゃいでいたようなそんな気がしています。


当時の子供たちに歴史の遺産を見せても、その頃はふーんって感


じで興味の欠片もなかったような記憶が思い出されます。


 娘たちは、神戸に行くよ、横浜に行くよ、所謂、都会に行くよ


ていうときは目を輝かせて、早く早くと出発を急がせていたも


のです。まあ、子供なんてそんなもんですよね。


その頃の自分は仕事の上で、やっと責任者についたころ、ハード


でタイトな時間だったからこそ、時間がとれる日には、歴史もの


や心に残るものを、子供たちを連れて見に行ったものでした。


さあ二作目は大好物の寅さんを見ることにします。


何度も見ているにもかかわらず、それでもやっぱり見ちゃいます


寅さんといえば。・・・中学生の頃、正月映画として友達とよく


見に行ったものでした。昔から大好物だったんですな。 


他にも、猿の惑星(ラストの場面でほんとびっくりしたなあ)   


小さな恋のメロデー(あこがれたなあ)、007(ボンドカーがたの


しみだったなあ、ボンドガールはまだ未開発ゾーンでした)


トラトラトラ(パールハーバーを壊滅してすかっとしたなあ)  


キャディのバイトで稼いでよく見に行ったものです。


今はほとんどがユーチューブ、時代は変わっていくものですな。


我々の年代は昭和を引きづりながら螺旋階段を一歩づつ死刑台に


上ってゆそんな感じかもしれませんな(スゲー怖いぞ)。


そういえば小学6年生のころからアルバイトをしてました。


6年生でゴルフ場でキャディのバイト、1バック200円くらいだっ


たかな、今じゃそんな話は誰も信じてはくれませんが、昭和の40


年代では私の田舎ではあったんですな。


子供心にゴルフをしている大人がいけすかん奴らだなと感じてい


ました。今でいう薬品メーカーのMR(医薬情報担当者)がへこへ


こと医者におべっかを使いながら、キャディの我々に命令口調で


ロストボールを拾いに行ってこい、そんな時はわざと古くて裂け


たロストボールを渡した記憶もあります。


すごく怒っていながらも医者の前で猫なで声でまあそんなことも


ありますよね、なんて、あるわけないだろバカって笑ってました


毎週日曜日、朝5時頃から自転車で山のふもとのゴルフ場へ


受付で到着順に名前を書いて、バイトの順番を待ったもんです、


うまくいけば2ラウンド回って、倍のバイト代を稼げるのです。


バイト代をためて、その頃流行の切手や古銭を買ったり、


ずっと欲しかった顕微鏡や、お手軽カメラ等いろいろと宝物


を買ったもんです。まだまだ参考書なんて買うわきゃない。


一番の使用は母親へ渡して貯金していたものですから、母親が家


計の足し(パチンコ)に全部使っていることもありました。


悲しい1頁もあったような、それでも中学、高校2年1学期までと


よくアルバイトをしたもんです。


私の叔母が今でも、正月に会うたびにいっつもバイトしてたねと


昔のことを思い出させてくれます。


高校2年の夏休みに子供のころからの友人と二人で、市民プール


へ行ってて、将来のことをなにげに話し合ってた時、友人が大学


進学の話をはじめて、自分が心の中で蓋をしていた大学進学とい


本当の夢に気づきその日から、死に物狂いで進学のための


勉強を始めたんですな、参考書を買うお金もなくて、兄が叔父か


ら貰っていた英文解釈の12年も前の参考書を何十回と繰り返し


て覚えたりエコ受験だった日々が懐かしい青春の1頁ですな。


当然大学へ行ってからも、バイト尽くし、そんな人生を語りなが


ら年金者になった今もバイトにいそしんでいるなんて・・


そうすると12歳のころから働いていたような、俺はおしんか・・


おしんさんに申し訳ないですな、私のようなものと比べて


まあいろいろと描いてみましたが、バラ色の人生じゃないですな


どうみても、しがないへんなおじさんですな。


ちなみに社会人となり、バブル時代のサラリーマンだったので


ゴルフもたしなんでいました、キャディの経験も有り、マナーは


しっかりと把握していて、キャディーさんに休憩時には夏は冷た


いお茶、寒い時は温かい飲み物かチョコレートをプレゼント。


マナーも知らない輩を見ると本当に悲しくなっていましたな。


まあ、暇人の昭和の記憶物語の1頁でした。



じゃあ又ですな。


そうそう、六年生の時材木の皮むきなんぞもしましたな(笑)・・


まだいうか、・・・


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